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◯住まいいろいろ7「風水ブーム」運勢で設計決まるのは…
【続・京都市】
風水がはやっている。それが、人の健康や家の耐久性を考えた建物の配置や間取りにつながるのならいい。だが、運勢の善しあしで家の造りが左右されるというのは、いかがなものだろうか。
数年前、京都市内のある家の新築をボクの事務所で請け負った。
広々とした敷地には、前の持ち主が立派な樹木をいくつも植えていた。ボクはその緑が楽しめるように、庭を囲むL字形の家を提案してみた。
すると、依頼主。
「その件は風水師の○○さんに、いいか悪いかをチェックしてもらっていいですか」
そこで担当者が○○さんのもとを訪れ、おうかがいを立てたところ、答えは「L字形では建物の重心が家の外になるからいけません」だった。
その判断の根拠や重心の意味を尋ねても、理解できる回答はない。要するに「そう決まっている」のである。
その後も、設計途中で新たなプランを示すたび、担当者が風水師のもとへ走る羽目になった。問答無用の条件は着実に増えてゆく。
「ご主人の部屋は西側に」
「鬼門(北東)と裏鬼門(南西)を結ぶ線から15度の範囲内に、便器や洗面など、水を使う設備は置かないように」
玄関やトイレ、枕の向きなど方位に配慮して、という話はときどきあったが、これほどの制約は初めてだった。
風水を信じる人には、その意向に沿うのが幸せなのだから、設計する側もそれを受け入れるべきかもしれない。ただ、実際には一部の住み手だけが信じているケースが多いのではないかと思う。
もともと風水は、気候風土に合わせて、快適で長持ちする住まいのために知恵を提供してきたはずだ。それにはボクも全く異論がない。自然を無視して、自分に都合のいい空間をむやみにつくりだそうとする最近の状況をみると、風水の思想はむしろ称賛したいぐらいである。
ただし、それを実践する時には、その時代の都市環境や建築技術、人々の生活習慣などに合わせる必要がある。風水の思想は本来、そうした時間軸に対する優れたバランス感覚を持っていたはずだ。
知人の建築家は、こう言っていた。「オレは風水師の条件もちゃんと解決して設計してるよ。彼らも商売だっていうことを考えてあげないと、かわいそうだろ」
なるほど。でも、ボクはやっぱり建築家と風水師の共存は難しいという気がする。