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◯住まいいろいろ5「運河のある風景」憩いの場に、さくなんて…
【デルフト】
妹一家が住むデルフトは、オランダ絵画を代表する17世紀の画家、フェルメールが生涯を過ごした小都市として知られる。中世の面影を残し、オランダのほかの都市と同じように運河が縦横に張りめぐらされている。
「テツが落ちた!」
今年6月、近所の子どもたちが息せき切って妹の家に駆け込んできた。テツとは、3歳になる妹の三男のことだ。
表では、ずぶぬれになった息子が半べそをかいて突っ立っていた。近くを流れる運河に向かって石投げをしていて、はずみで転落したところを子どもたちに引き上げられたらしい。「また、やってくれたわね」と妹は苦笑い。去年は次男坊が落ちた。
妹の家の前の運河は大人が立てるほどの深さだが、雨降りのあとなど、並行する道路にあふれそうなぐらいに水かさが増す。でも、水辺の多くにさくや手すりがない。
妹はオランダに住み始めたころ、近所の人に「危なくない?」とたずねたことがある。すると「なんで(そう考えるの)?」と、逆に聞き返されたそうだ。
オランダでは、さくを設けるのは最小限にして、子供に徹底した教育をほどこす。泳げるようにする、おぼれそうな人がいたら助ける、の2点である。
水泳指導は4、5歳から。服も靴も身につけ、25メートル泳ぎ、しかも15秒間立ち泳ぎできないと「卒業」させてもらえない。その次は、服の上に防寒着を重ねて泳がされる。
これだけ水への警戒心を植え付けられると、大人になっても運河に近づく子どもに目を光らせるようになる。他人の子でも、「気をつけろよ」「運河と反対側の歩道を歩きなさい」と声がかかる。それでも、子どもの転落事故はしょっちゅう。ただ、死ぬことはめったにないという。
妹も今では、「不細工なさくなど造らなくていい」という考え方にすっかりなじんでいる。オランダ人にとって運河は生活の一部。運河沿いの街路は前庭であり、カフェが並ぶ憩いの空間なのだ。ボート遊びや冬のスケートツアーなどの楽しみも支えている。
結局は、豊かさをどう考えるかということに尽きるだろう。危険を封じ込めるために景観やレジャーを犠牲にする狭量さは、この国には感じられない。フェルメールの名作「デルフトの眺望」に描かれた運河の風景がいつまでも愛されるのは、このバランス感覚ゆえなのだと思った。