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◯住まいいろいろ3「神聖なキッチン」うまいカレーとの落差
【カトマンズ】
10年前、妻とネパールを旅行したとき、首都カトマンズの街で、東京のネパール料理店でコックをしていたという青年に出会った。「日本がなつかしい。ぜひ、夕食に」というので2人でついていった。
この地域の主要民族、ネワール族の典型的な住まいは、縦に長い4階建て。上の階ほど神聖な場所とされ、1階にトイレや穀物庫、2、3階は居間や寝室。キッチンは最上階にあって、他人は決して入れないという。
弟と2人暮らしという彼の家は、質素なれんが造りアパートの1階。建築物としての興味は薄れたが、その代わり、キッチンを見られるかもしれないと、別の期待がふくらんだ。
「これから作るから、ここで待っていて」
玄関とも居間ともいえるような土間で、いすにしばらく腰かけていたが、職業柄、おとなしく待っているわけがない。
「キッチンを見せてほしいんだけど」と、いいにおいの漂う隣の部屋をのぞいてみた。
人の良さそうな彼もさすがに抵抗したが、粘るうち、「特別に」とOKが出た。
だが、台所はなんと弟の部屋と兼用だった。3畳ほどの広さで、流しも調理台もない。ベッドわきの土間にガスコンロが置いてあり、その上に鍋を置いて、野菜をいためながら次々とスパイスを加えていた。その横には柄の部分を床に埋め込んだ包丁があって、手に持った肉や野菜を刃に向かって前後に動かしてスパスパ切っている。
まな板がないどころか、地面が調理台なのだ。皿をふくタオルが土色に染まっていたのにはさすがに息をのんだ。
「たくさん食べてね」と、兄弟は笑顔でカレーライスの皿を差し出した。「今さら帰れないぞ」。妻と目と目をあわせ、覚悟を決めた。
だが、あまりにおいしくて、2人ともおかわりまでしたのである。おなかもこわさず、身も心も温まる食事だった。
帰国後、テレビ番組でネワール族の4階にあるキッチンを見る機会あった。すっきりと片づいた部屋だが、やはり調理台などなく、床は土のようだった。ボクたちの経験したキッチンと衛生感覚的に大差はなさそうだ。
生ごみの置き場をどこにするか、シンクに浄水器をつけるかどうか、天板の仕上げはステンレスか石か。日本で設計の打ち合わせをしていると、ときどきふと、あの強烈な体験を思い出す。