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◯住まいいろいろ11「樹木のある庭」心静まる「何げない風景」

 

【平塚市】

家のまわりに何げなく樹木がある。建築の仕事をしていると、これがぜいたくなことがよくわかる。

 

神奈川県平塚市にある実家は、父のふるさとの愛知県豊橋市から移築したものだ。歴史的な値打ちがあるような代物ではないが、風格ある太い梁が残る昔の民家である。父は古い家にこだわっていた。

 

庭には雑木林のように木々が生い茂り、家をすっぽり覆い尽くしている。庭に面した道路からは建物がよく見えない。

 

最初からそんな風だったわけではない。1本、1本庭に植えた木が年月をかけて成長したものだ。ボクが幼いころ土の中に埋めた十数個のどんぐりの実も芽をふき、今では7メートルを超えるカシの大木になって並んでいる。

 

玄関先のネムノキは、人の手を借りずに種を風に乗せて幅4メートルほどの道をはさんだ向かいの高校の敷地に落とし、子どものネムノキをつくった。この2本は互いに枝を伸ばしあってアーチ状の木陰をつくっている。

 

そんな植物の思うがままにまかせてできた自然を思い出すことがある。すると、懐かしいというより、不思議と心が静まる気がする。

 

家を設計する場合、同時に庭のことも考えるのがふつうだ。依頼主に植えたい木を聞くのはもちろん、窓から見える樹木、背後の隣家、山並みなどを思い描く。

 

だから、新しくつくった庭にある木や草花の配置は良くも悪くも計算しつくされている。もし、設計側の意図が裏目に出るようなことがあれば、庭自体もぎこちなく見られるだろう。

 

対照的に、実家の庭にほっとさせられるのは、そこに木々があるだけ、ということにこだわっているからだろう。枝葉が伸び具合で、はさみを入れるのだが、そこにも「はみ出しすぎかどうか」という父なりの美学があった。

 

その父が昨年、出かけた先でくも膜下出血で倒れ、この世を去ってしまった。まもなく古希を迎える母が、手のかかる木々とともに残された。

 

ネムノキなどは、花が落ちると道にへばりつき、枝に虫もつく。落ち葉の掃除以外は父にまかせっきりだった。

 

4人の子どもは方々に生活拠点があり、実家に戻って世話をするのは難しい。誰かの家に身を寄せる考えはないかという話になったとき、母はぽつりと言った。

「お父さんが好きだった家だからね……」

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